くらし
大泉で過ごした日々
山へ採集に出かけられなくなった90歳ごろから、富太郎は大泉の自宅で長い時間を過ごすようになりました。庭に移植した植物を採集したり、標本を整理したり、時に、訪問客と尽きることのない植物の話題に花を咲かせていたそうです。病床につく93歳まで、家族の心配をよそに寝る聞を惜しんで植物の研究や、書き物を続けたエピソードが多く語られています。
富太郎命名植物
明治22(1889)年、日本で初めての命名植物となった「ヤマトグサ」をはじめ、新種、新品種を含め富太郎による命名植物は1千5百種類を数えます。富太郎による命名植物は野生植物だけでなく、野菜や花卉なども含まれ、私たちの身近にある植物すべてが富太郎の研究対象となっていました。 富太郎が「日本の植物分類学の父」と言えるのは、その数だけでなく対象の幅広いことにもよります。